昭和50年日付不明 波多野家霊祭



 御霊様の生活というか、魂の世界での、御霊様の救われているというか、助かっておられる、程度と申しますか、まー、毎日家内の立ててくれるお茶、またはおうすなんかを頂いておられるというような感じですから、一時が万事にその通りだとこう思う。まーいうならば優雅な生活をされておるという感じでありますね。今日の御霊のお祭りは、日日なら美味しいお茶を頂いて、それに準ずるいうなら生活をさせて頂いておるが、今日はいわゆるうからやからの者が、親族一同、子供達みんなここに集まって、今日は細やかではあるけれども、茶会を開いたようなものだという意味のことを頂いたですね。やはりそれにはなら日日頂いておるというお茶の味わいというものを、美味しいなこのお茶はというだけではなくて、その佇まいというか雰囲気というか、いうならばお茶の席にでらせてもらうためには、正装、またはそれに準ずる服装などもきちっとこう心の中に、おいて、そしてその茶席に望むように、そのようにして皆さんが今日、茶席に望んで、茶会に参会して、御霊様を中心にしてそういう茶会を開いておられると言ったような、そういう感じですね。御霊のお祭りというものは。そんなもんだ。ほんとに今日のお茶はおいしかったというだけではなくて、その雰囲気、その思い、真心の集まる、その雰囲気が御霊様をこよなく喜ばせ、安らがせ、同時に遺族のものも、30年という長い年月の間の御霊様のご苦労を謝し、そしてこれからの御霊の安らぎも助かりも祈り願ってからのそのお祭りでした。今日の御霊のお祭りはそういう感じでしたね。ただお茶を味わうというだけだったら日日でけておる。だけのいうならばおかげを頂いておる御霊。けれども今日は、30年という節どしにあたって、こうして茶会を催したようなもの。いうならそれぞれに万事万端の上に、それぞれが送り合わせを頂いて、えー、この席にいわば望まれたもの。御霊と共にいうならばお茶の味だけではない、えー茶会の雰囲気を味わわれて、(?)共に、まー、今日の茶会は良かったねとか素晴らしかったねと、または今日のお茶は美味しかったねと、今日のお茶請けはよかったねと、そういうような感じで、御霊様が受けてくださった、なら皆さんの場合も、そういう、いうなら雰囲気を頂いてお帰りにならなければ惜しいことだと思います。ただ形式、ただ形だけというのではない。

昨日、吉井のこちらにいわみつというところがある。そこの娘さんが熱心に参ってくる。お母さんが、霊友会というやっぱり宗教団体ですが、それの東京に会堂が立てたというので、そちらに行かせて頂いて、そして大変まーおかげを頂いておられますので、汽車に弱いというので、そのーこちらの御神米を頂いていきたいと言うのでというので、娘さんがお願いにきました。で御神米を2体下げさせて頂いたら、ご自分もやっぱちょっと気分が悪なられて、隣におられた人もやっぱり具合が
、まー酔わせんかというような状態、それで自分も頂いとる御神米を頂き、こりゃ金光様の御神米ですよというて、そりゃ霊友会のもんが金光様の御神米を頂いてもよかのというようなことだったらしいですけれども、頂いた。おかげで行きも帰りもまーあの、無事にというて、二人で昨日お礼にでてみえられました。そして空の話を聞かせて頂いたんですけれども、大したことだそうですね。えー毎日6000名の御信者が、21日間集まるそうですから。しかもその会堂がね、200億円かかった。そりゃもう、ほんとに見事なことだったそうです。そして私なおもうひとつ驚いたことにはね、それだけのたとえば信者をその東京の中心に寄せておいて、そのただ法要的なことはあったにしても、お話がひとっつもなかったということです。もうこれには驚きました。もうあらゆる宗教がですね。そしたらたとえば本部なら本部に集まってくるんですから、これをまーそのPRするはずです。また教えの有り難いことを話すはずです。ところがそれは全然なかった。これにはアタクシは驚きましたですね。ただその教祖様的な方がおられましてね。何年か前に亡くなられました。その遺言が、ご先祖を大事にして下さいということだったそうです。だから霊友会というのはやはり御霊様専門に拝む。いうならご先祖を大事にさえすれば人間は幸せになれるとこの一点張りですから、お話がない。ただこの経文が、あげますと2時間かかるそうです。だから2時間の経文を毎日怠りなく仏前に奉唱して、そしてご先祖を大事にしてくださいということだけが、東京に行ってただ素晴らしかったということがお土産であることと同時に、お話はそれだけであった。それで帰る道道、二人でその話されたんだそうですけども、確かにやはりおかげ頂かれるからこそ、それだけたくさんの信者を要しておるし、信者もまたでけておるし、また、あのー著名主も多いそうですね。あの石原慎太郎さんなんかもやっぱり会員だそうです。そしてやっぱおかげを受けておるから、やはりお参りをするのでしょうが、。結局ただ先祖を大事にしてくださいということだけがしんだそうです。そして毎日経文を2時間ずつあげさせていただく。その間に、何というでしょうかね、」えー宗教的ひとつの法悦と言ったようなものが、まーたとえばならお題目ひとつでも、南無妙法蓮華経、南無法蓮華経、それこそ2時間もあげたら確かに有り難くなれるだろうと思いますよね。そういう宗教だそうです。それでいてなら200億からの会堂を建てるほどしの実力をはっきしておるというところに、私ひとつの宗教の、まー理屈ではない、凄まじさというか、ものを感じました。そしてその二人の話を聞かせて頂いてからね、先祖様はそれで助かりなさることになるのだからね、そのまー幸せになるといことは、アタクシ共が心が助からなければならない。そんためには合楽にお参りをして、お話を頂いて心に悟りを開かせて頂いて、日日有り難い、てねという心で過ごさせて頂くというおかげと、だから金光様と霊友会と2つになりゃよかのというて帰りましたという話を聞きました。うん。まーほんとにまー理屈におうた話だと思いますけれども、これはただしどうということじゃないけれども、なら金光様の御信心でもそうです。もうご先祖を大切にする、もうとにかく親を大切にしない、アタクシはお参りをしてくる方に必ず申しますことは、もう親と名がつきゃみんな親なんです。ね。育ての親もありゃ、生みの親もある。ね。又は義理の親もある。もう親と名のつく親を、本気で大事にする、いうならば親に孝行、親に喜んでもらいたくてたまらんといったような心の人なら必ずおかげいただくよと。それはね、先祖を大事にすれば幸せになるという理と同じことです。天地が私、喜びなさる。天地の親神様がその心根を目でたまう。だからやはりおかげいただくんだと思うんです。誰でも親不孝したいなんて子供は一人もおりません。けれども親孝行しとうてたまらんというのも大変少ないです。もう親の喜ぶ顔を見るのがもう一番の楽しみだというような親孝行な人はまた大変少ないです。ね。親孝行せなんと思うとるけどでけん。せにゃんことは分かっとるけれどもでけんだけのこと。それを信心させて頂くものは、そこにです、なら親と名がつきゃ親を大切にするという、そのあり方をいうなら身につけていく、そこから信心はたとえば始まる。
教えを頂いて心を開かせてもらう。それこそ最近、金光大神の世界ということを2、3日続けて頂いとりますけれども、金光大神の世界というのは、もうあれもおかげであったこれもおかげであったと分かるようになると本当の信者じゃとこう。あれという事は過去の一切。過去の一切があのことのおかげでということになってこなければならない。これもということは、現実に踏んまえておるところの問題があるとするなら、難儀があるとすんならば、それも難儀ではないんだと開眼する。その難儀もそのままおかげであると感じれる世界を金光大神の世界という。だから金光様のご信心をさせて頂くものは一切をおかげおかげで頂いていけばというように、心を開くことに一生懸命精進させてもらうと同時に、霊友会ではないですけれども、本気でご先祖を大切にさせてもらう。毎日、お仏壇のお掃除がでけておる。生き生きとお花が活け、お花の水が変えられておる、朝晩、遺族の者がお線香をあげたり、木魚を叩いたり、金を叩いたりして、ご仏前に座って、たとえば礼拝をさせて頂くというそういう雰囲気が家庭の中に、同時にしかも1時間も2時間も。まー霊友会でいうならね、たとえば夜のひと時を家族中のものが、ご仏前に集まってご先祖を敬うというような、私そういうような情操が、最近の特に日本人の心の中にはかけてきたように思う。
今朝からのお話の中に、東京あたりではあのお坊さんが、檀家にお回りになって、えーっとまず、こういうなら色々と種類、このお経をあげたら幾ら。どこどこは自動車でおいでられるからガソリン代が幾ら。それからいったお寺さんのお布施が幾らというふうに、まー定価表がでけておるという、しかしこれも最もだと思う。坊様だってやっぱり生活をさしておるのですから。けれどもその金光様のご信心では、銭金では拝まぬと教祖がおっしゃるように、やはりそのぜんとを受けておるお道の信心では、そういう定価表などはないですけれども、私の流儀でいうならば、いるだけは風が持ってくる木の葉かなというようにです、もう本当に、さあたくさんなお布施があったから念入れて拝む、全然なかったからざっと拝むということじゃなくて、これは宗教人としての心がけでなからなければならんけれども、なら現在の宗教の中にもです、そういういわゆる定価表のでけるような、銭金でこう、決まるようなあり方に、なんかだんだんなってきた、当たり前のようだけれども、これではなんとはなしに、ひとつの滋味とか豊かさとか、ね、ほんとにありがたさととかいったようなものは、なおさら感じられないようなことになりつつあるような思いがします。そういう意味で、私は霊友会のその先祖を大事にする、それだけで良い。別にそれこそお話ひとつないというけれども、
それだけでも私は霊友会のあり方を買います。同時に今合楽で言われております、大ばらい信行といったような、毎日、大ばらいを5巻も10巻も御神前に、しかもおかげを頂かねばならんから拝むといのじゃなくて、もう無条件に大ばらいを奏上するという、ひとつの細やかな運動が、まー合楽で怒っております。えー、(?)さん、ゆうこさんあたりでもこうしてご神縁があるのですから、いっぺん騙されたと思うて、大ばらいのひとつも覚えて、さあお母さんを中心にして、御神前で、もうこりゃ無条件です。大ばらいの10巻もあげる気になってごらんなさい。確かに素晴らしい心の状態が開てくるです。その素晴らしい心の状態が、おかげを必ずキャッチするです。幸せをそれで、まー呼ぶというでしょうかね。そういうシステムがこの世の中にはあるようです。ね。ご先祖を中心にしていよいよ大事にさせて頂いて、30年祭はまーこのようにしてまーでけました。ですから次はまた35年祭にはもちっと私どもの心が開けた心で35年祭が奉仕でけたら、いよいよ御霊様と共に、私共、残っとる遺族の者もより、助かっていく、ならよりまー今日の御霊様の事で頂いたようにです、より優雅なというかね、それこそ貧相病のない世界に住み、その上真善美に輝く世界に住まわせて頂くというようなおかげをいただくことこそ、本当に神様の願いであり、又は御霊様の願いであるといふうに私は思います。どうぞ、不行き届きながら、ただいま無事に霊祭を終わらさせていただきました。ありがとうございました。